キャリアの話をすると、やり方や考え方ばかりを聞かれます。でも、私にとっていちばん大きかった変化は、やり方ではありませんでした。
誤魔化すのをやめたことです。
この記事は、ノウハウの話ではありません。23歳までの私が何をしてきたか、なぜそれをやめられたのかを書きます。いま、うまくいかない理由をどこかで分かっていながら、見ないようにしている人に読んでほしいと思っています。
私の人生は、誤魔化しの連続だった
部活動
学生時代、私は部活動に打ち込んでいました。小学生、中学生の頃はチームの中心で、全国大会にも出ました。周りからちやほやされていたと思います。
ところが、高校で状況が変わりました。控えに回り、全国大会にも出られませんでした。
そのとき私は、ケガを言い訳にしました。大学の推薦を辞退し、そのまま競技をやめました。
本当の理由は、ケガではありません。全国レベルに達する実力をつけるための努力を、この先も続けていく自信がなかったのだと思います。「ケガさえなければ」という形にしておけば、努力から降りたことにも、実力で負けたことにもなりません。
受験
勉強も同じでした。中学、高校と、ある程度は器用にこなしていて、周りからは頭が良いと思われていました。
でも、大学受験に失敗しました。
そのとき私は、逃げるように専門分野に特化した学科を選びました。そして周りには、あたかもそこが第一志望だったかのように説明していました。
本当は第一志望ではありませんでした。でも「最初からここに行きたかった」という形にしておけば、受験に失敗したことにはなりません。
共通していたこと
どちらも、守っていたのは、小さくて無駄なプライドです。
「自分はできる人間だ」という自己像を守るために、負けた事実のほうを書き換えていました。ケガのせい。最初からここが志望だった。そうやって、負けを負けとして認めないまま、次に進んでいました。
誤魔化しのコスト
誤魔化すと、その場は楽です。傷つかずに済みます。でも、あとから振り返ると、高い代償を払っていました。
負けから何も学べない。 実力で負けたのなら、足りなかったものを補えば次は勝てるかもしれません。でも「ケガのせい」にしてしまうと、補うものがなくなります。負けを認めないということは、負けから学ぶ機会を捨てるということでした。
挑戦そのものを避けるようになる。 誤魔化しが効くのは、言い訳が用意できる範囲だけです。だから、言い訳のできない勝負を、無意識に避けるようになります。本気でやって負けたら、もう誤魔化せないからです。私は長い間、本気を出さないことで、自分を守っていました。
自分が本当は何を望んでいるのか、分からなくなる。 「最初からここが第一志望だった」と周りに言い続けていると、自分でもそれが本当だったような気がしてきます。人に向けた嘘は、いずれ自分に向けた嘘になります。
23歳で、誤魔化すものがなくなった
新卒で入ったのは、子どもの頃から憧れていた映像業界でした。でも、現実とのギャップに耐えられず、1年で辞めました。
そこからは、何もうまくいきませんでした。コロナ禍で転職活動は全滅。生活のために派遣社員になり、年収は260万円。学生時代から付き合っていた恋人にも振られました。
憧れの業界は1年で挫折。転職は全滅。恋人もいない。
このとき初めて、誤魔化しが効かなくなりました。言い訳を向ける相手がいない。取り繕う体面も残っていない。「自分はできる人間だ」という自己像を、支える材料がひとつもありませんでした。
どん底でしたが、いま思えば、ここが転機でした。「何も残っていない」は、「もう誤魔化すものがない」ということでもあったからです。
時間だけはあったので、自分の人生を振り返りました。出てきた結論が、「自分はずっと誤魔化してきた」でした。
もう一度、本気でやって、勝ちたい
誤魔化してきたものと向き合ったとき、自分が本当は何を望んでいたのかが、ようやく見えました。
もう一度、全国大会に出たときのような達成感を味わいたい。
私の地域では、全国大会に出られるのは約100チームに1チームでした。上位1%です。私が知っている「やり切った」という感覚は、あの場所にしかありませんでした。高校でそこから降りて以来、私は一度も、本気で上を目指していなかった。
そんなとき、「30代前半で年収1000万円に届く人は約1%」というデータを目にしました。全国大会と同じ、上位1%。これを目標にすると決めました。
数字の目標は、誤魔化せない
この目標が良かったのは、誤魔化しようがないところです。
年収1000万円に届いたか、届いていないか。30代前半に間に合ったか、間に合わなかったか。結果は数字で出ます。「ケガのせい」も「最初から目指していなかった」も通用しません。
誤魔化す癖のある人間にとって、曖昧な目標は危険です。「成長できたからよし」「いい経験になった」と、いくらでも着地点をずらせてしまう。だから私は、ずらしようのない数字と期限を、先に自分に課しました。
誤魔化さないと決めたことで、負けも受け止められるようになりました。25歳のとき、幹部求人に応募して落ち続けたことがあります。以前の私なら「学歴で見られているだけ」「見る目がない会社だ」と言って終わっていたと思います。でもそのときは、「自分には、幹部として語る言葉がない」という事実を認められました。認められたから、次の手が打てました(そのときの話は「大企業の看板」という仮説の記事に書いています)。
いま誤魔化している人へ
もし、次のどれかに心当たりがあるなら、昔の私と同じ場所にいるかもしれません。
- うまくいかなかったことに、すぐ言えるきれいな説明が用意されている(環境のせい、タイミングのせい、向いていなかった)
- 本気でやれば、と思っているが、本気でやったことがない
- 人に説明している自分の経歴や志望と、本音がずれている
私は、全部を失うまで、これをやめられませんでした。でも、そこまで行く必要はないと思います。
やめるのに必要だったのは、勇気というより、言い訳のきかない目標をひとつ置くことでした。数字で測れて、期限があって、結果が誰の目にも明らかなもの。それを置くと、誤魔化す余地がなくなります。余地がなくなると、人は案外、本気でやります。
目標の決め方は目標は「数字と期限」で決めるに、私がその後どんな道を選んだかは全経歴の記事に書きました。
まとめ
- 部活はケガを言い訳にやめた。受験は失敗したのに、第一志望だった顔をした。守っていたのは、小さくて無駄なプライドだった
- 誤魔化しのコストは高い。負けから学べない。挑戦を避けるようになる。自分の本音が分からなくなる
- 23歳で全部を失って、誤魔化すものがなくなった。そこが転機だった
- 数字と期限のある目標は、誤魔化せない。だから本気になれる
- 全部を失う前に、言い訳のきかない目標をひとつ置く



