25歳のとき、私は幹部求人の面接で落ち続けました。言われたのは「若いのにすごいね」。目は「本当かな」と言っていました(「若いのにすごいね」と言われたら、面接はもう負けている)。
その後、大企業に1年在籍してから受けた現職の面接では、あの目を向けられませんでした。面接は3回。通りました。
何が違ったのか。看板の効果は別の記事に書いたので、この記事では「何を話したか」だけを書きます。やったことは、2つです。
1. 理念に絡めて、すべての質問に答えた
最初にやったのは、転職前の会社の理念に、自分がどう重なっていたかを話すことでした。
大企業の1年で、企業理念を現場に落とし込むこと、管理職がそれを自分の言葉で語ることの重要性を学びました。だから面接では、その会社の理念と自分の行動がどうシンクロしていたかを、実例で話しました。
面接官の反応が、前の転職活動といちばん違ったのは、ここでした。前の会社への愛を語ったところが、非常に刺さっていた。
これは意外に思われるかもしれません。転職の面接で、前の会社を良く言う。でも面接官の立場で考えれば分かります。前の会社の理念を自分のものとして語れる人は、うちの理念も自分のものにしてくれる。そう見えます。逆に、前の会社の悪口を言う人は、次もそうします。
そのうえで、自分がやりたいことと、応募先の会社とのマッチ度を、その会社の理念に絡めて話しました。 志望動機だけではありません。あらゆる質問に対して、答えをその会社の理念に結びつけて返していきました。「なぜこの経験を積んだのか」「入ったら何をするか」。全部、理念から逆算して答える。
25歳のときの私には、これができませんでした。理念に沿って語る言葉を持っていなかった。大企業の1年で覚えたのは、この言葉でした。
2. 自分なりのマネジメント論を、2つ持っていった
25歳の面接で足りなかったもうひとつが、マネジメント論でした。「100人を見ていました」と数字は言えても、どう考えて動かしたかを語れなかった。
現職の面接では、2つを持っていきました。
年下だからこそできる、年上部下のマネジメント。 23歳でマネージャーになったとき、部下は30〜40代が中心でした。最初は舐められないように気を張って失敗し、「未熟だから助けてください」に切り替えて信頼を得た話です(詳しくは年上の部下に舐められないように気を張って、失敗した話)。年下であることを弱点ではなく武器として使った、という話は、面接官にとって「この人は自分の状況を客観的に見て、戦い方を変えられる」という材料になります。
返報性。リーダーから先に与える。 チームで協力して何かを成し遂げたいなら、まずリーダーが積極的に部下へ与える。時間、情報、手助け、信頼。先に与えるから、返ってくる。派遣社員のときに周りの困りごとを解消して信頼を得たのも、マネージャーになってから小さな困りごとを片付けて指示が通るようになったのも、同じ原理です。
どちらも、本で読んだ理論ではなく、自分の失敗から出てきたものです。だから深掘りされても答えられました。
詰まった瞬間:2歩3歩先の深掘り
うまくいった話だけでは嘘になるので、詰まった話も書きます。
現職の面接では、用意してきた内容から、2歩3歩先まで深掘りされました。 「なぜそう考えたのか」「それがうまくいかなかったらどうするか」「別の状況ならどう変えるか」。準備した答えの先を、その場で聞かれる。試されていたのは、その場の瞬発力でした。
これに対する準備は、正直、できません。用意した答えを増やしても、その先を聞かれます。答えられたのは、話している内容が自分の失敗から出てきた本物だったからです。借りてきた理論なら、2歩先で詰みます。自分の経験なら、聞かれた分だけ深く話せます。
25歳の面接と、何が違ったのか
まとめると、こうなります。
| 25歳の面接 | 現職の面接 | |
|---|---|---|
| 実績 | 数字は言えた | 数字は言えた |
| 理念 | 語れなかった | 前の会社の理念と自分の重なりを話した。応募先の理念に全部の答えを絡めた |
| マネジメント論 | なかった | 年下上司の戦い方と、返報性の2つ |
| 深掘りへの対応 | 聞かれなかった(「すごいね」で終わった) | 2歩3歩先まで聞かれ、自分の失敗から答えた |
実績は変わっていません。変わったのは、実績を「信用できる形」で語る言葉を持ったかどうかでした。
まとめ
- 前の会社の理念に自分がどう重なっていたかを話す。前の会社への愛は、面接官に刺さる
- 志望動機だけでなく、あらゆる質問を応募先の理念に絡めて答える
- マネジメント論は、本ではなく自分の失敗から作る。年下上司の戦い方、リーダーから先に与える返報性
- 深掘りは2歩3歩先まで来る。答えられるのは、話が本物のときだけ



