23歳のとき、私は派遣社員としてコールセンターで電話を取っていました。新卒で入った会社を1年で辞め、転職活動は全滅し、長く付き合った恋人にも振られた直後です。
それから5年。転職を3回して、いまは事業責任者として年収900万円をもらっています。
先に断っておくと、これは才能の話ではありません。学歴はいわゆるFランですし、資格も運転免許しかありません。やったことは、目標を数字で決めて、自分の現在地を冷静に見て、仮説を立てて試す。それを繰り返しただけです。運が良かった部分もあるので、それも隠さず書きます。
年収の推移
| 年齢 | 立場 | 年収 |
|---|---|---|
| 22歳 | 映像業界の制作会社(新卒) | 350万円 |
| 23歳 | コールセンターの派遣社員 | 260万円 |
| 25歳 | 派遣先で正社員となり課長代理(部下100名超) | 500万円 |
| 26歳 | 誰もが知る大企業でエリア管理 | 550万円 |
| 28歳 | 現職・事業責任者 | 900万円 |
1. 憧れの業界を1年で辞めた
子どもの頃から憧れていた映像業界に、新卒で入りました。仕事はプロデューサーやディレクターの補佐全般。言ってしまえば、代わりの効く仕事です。
私は昔から器用なほうで、覚えるのだけは早い(そのぶん、気を抜くと忘れ物や抜け漏れが出るタイプです)。3か月で業務をひと通り覚え、半年で先輩と同じ水準でこなせるようになりました。半年面談では人事から「同期でいちばん覚えが早いと聞いているよ」と言われました。
ただ、その会社にはルールがありました。入社から5年はアシスタントとして修業。昇進試験に受かって、初めてディレクターになれる。ディレクターになれば年収は600万ほどに跳ね上がり、30代で1000万の先輩もいる。でもそれまでの昇給は年に5,000〜10,000円、賞与は年2か月分。月給は25万円でした。
半年で覚えた仕事を、あと4年続ける。
その間に高校の同級生は、商社や銀行で、あるいはエンジニアや営業として、上を目指して試行錯誤している。20代の5年間を、ここに置いていいのか。
悩んだ末にいてもたってもいられなくなり、勤続1年のタイミングで退職届を出しました。
2. 23歳、手元に何も残らなかった
勢いで辞めたので、計画は何もありませんでした。ここだけは真似しないでください。
時期はコロナ禍の2年目。いまのような売り手市場ではなく、スキルもないまま1年で辞めた人間を相手にしてくれる会社はありませんでした。面接は得意なつもりでしたが、まったく通らない。生活のために、派遣社員としてコールセンターで働き始めました。
同じ頃、学生時代から付き合っていた恋人にも振られました。
憧れの業界は1年で挫折。転職は全滅。恋人もいない。23歳で、手元には何も残っていませんでした。
3. ずっと誤魔化してきた
時間だけはあったので、自分の人生を振り返りました。出てきた結論は「自分はずっと誤魔化してきた」でした。
学生時代の部活動では、小中学生の頃はチームの中心で、全国大会にも出て、周りからちやほやされていた。ところが高校では控えに回り、全国にも出られず、最後はケガを言い訳にして大学の推薦を辞退し引退しました。
勉強も同じです。中学・高校と器用にこなして「頭がいい」と言われていたのに、大学受験に失敗。逃げるように専門分野に特化した学科を選び、あたかも第一志望だったかのように周りに説明していました。
小さくて無駄なプライドが、ずっと邪魔をしていたんです。
どうせ何も残っていないなら、今度こそ誤魔化さずにやってみたい。もう一度、全国大会に出た時のような達成感を味わいたい。
私の地域では、全国大会に出られるのは約100チームに1チームでした。上位1%です。私が知っている「やり切った」という感覚は、あの1%の場所にしかありませんでした。
そんなとき、「30代前半で年収1000万円に届く人は、約1%」というデータを目にしました。※
全国大会と同じ、上位1%。これだ、と思いました。目標は「30代前半で年収1000万」。数字で測れて、期限があって、部活動のように上をめざせる。
4. 5つのルートを書き出して、消去した
目標が決まれば、次は道筋です。30代前半で1000万に届くルートを調べ、5つに整理しました。
| # | ルート | 中身 | 当時の私の判定 |
|---|---|---|---|
| 1 | 高年収の業界に入る | 総合商社、外資金融、コンサル、高収益メーカー、M&A仲介、大手デベロッパー、キー局、大手広告など。後追いなら20代後半でコンサルに入るのが定番 | △ 面接で有名大卒のエリートと正面から戦うことになる |
| 2 | インセンティブ型の営業 | M&A仲介、投資用不動産、外資系生保、SaaSの大手向け営業など | × 学歴不問で再現性は高い。ただ成績が落ちれば収入も落ちる。稼ぎ続けられる保証がない |
| 3 | スタートアップ・中小企業の幹部になる | CxO、事業責任者などのポジション | ○ 学歴や経歴の制限がなく、ポテンシャルで評価されるはず、と仮説を立てた |
| 4 | 大手で最速昇進する | 課長級で1000万に届く会社(大手金融、インフラ、一部メーカー) | × そもそも入れない。年功序列が残り、30代前半に間に合う会社も限られる |
| 5 | 本業+副業、または独立 | 本業600〜800万に副業で200〜400万を足す、フリーランス、起業 | 保留。「同世代と同じ土俵で勝つ」という今回の動機からすると、別の競技になる |
残ったのは1と3。そのうち1は、経歴で勝てない相手と同じ面接会場に座ることになります。勝率の低い勝負は避けました。
決めたのは3です。学歴も実績もない人間が、30代前半までに企業の幹部になって1000万に届かせる。
では、幹部になるには何が要るか。輝かしい実績を残す環境はないため、まずはマネジメント経験だ、と考えました。
5. 派遣先の「困りごと」が入口だった
当初は、派遣で食いつなぎながらすぐに転職して、どこかの正社員になるつもりでした。
ところが働いてみると、派遣先の会社はマネジメント層が定着せず、人が足りないと嘆いていました。
ここで考えを変えました。この会社でマネージャーになれば、「23歳・コールセンターの派遣社員」という肩書きを「23歳・BPO事業会社のマネージャー」に書き換えられる。外で席を探すより、目の前の空席のほうが早い。
やったことは2つです。
ひとつは、派遣の立場のまま、当時の課長と積極的にコミュニケーションを取って関係を作ること。
もうひとつは、Excel関数とGAS(Google Apps Script)を独学して、業務改善を提案し、自分で実装まですること。まだ生成AIが広まる前で、現場でこれをやる人はほとんどいませんでした。
結果、3か月後に正社員登用。6か月後に現場マネージャー。1年半後には課長代理になりました。直属の部下が10人、その下に契約社員・派遣社員が100人以上いる組織です。25歳、年収は500万円になっていました。
6. 「若いのにすごいね」の目が笑っていない
500万には届いた。でも、この会社にいても1000万には届かない。それは見えていました。
コロナが落ち着き、転職市場は売り手に変わっていました。計画どおり、スタートアップや中小企業の幹部求人に応募を始めます。
結果は、全然だめでした。面接で言われるのは「若いのにすごいね」。でも目は「本当かな」と言っている。
いま振り返れば、疑われて当然でした。企業理念に沿った話ができるわけでもなく、自分なりのマネジメント論もない。数字の実績はあっても、幹部としては未熟でした。
7. 仮説:大企業の看板があれば、疑いは消える
そこで方向を変えました。立てた仮説はこうです。
誰もが知る大企業に一度在籍する → 「大企業が採用した人材」という裏付けがつく → 懐疑的な目が消える
ただし、正面から受けても通りません。社会人3年目で、すでに転職2回目だからです。
なので、採用のハードルが下がる条件を考えました。離職率が高く、全国転勤がある業種。店舗ビジネスに絞って応募し、誰もが知る企業から内定をもらい、地方のエリア管理を任されました。
在籍は1年です。でも、得たものは看板だけではありませんでした。
その会社はマニュアルと規則が徹底して作り込まれていて、真面目に働けば誰でも評価される。労働組合があり、物価上昇を上回る昇給も保証されている。30代後半には誰でも800万に届く年収テーブル。さすが大企業だと思いました。
学んだことは3つあります。
- 企業理念を現場に落とし込むことの大切さ
- 管理職がそれを自分の言葉に乗せて語ることの重要性
- マニュアルと規則を作り込み、徹底することの威力
6章で私に足りなかったものが、そのまま全部ここにありました。
8. 幹部職として、現職へ
この経歴を持って転職活動を再開し、現在の会社に幹部職として採用されました。面接で、あの懐疑的な目を向けられることはもうありませんでした。仮説は当たっていたことになります。
いまはAIを最前線で学び、それを社内の業務に落とし込んで利益を伸ばす仕事をしています。その成果を評価してもらい、事業責任者を任されるようになりました。
30歳手前で年収900万。23歳のときに決めた「30代前半で1000万」は、現実的な距離まで来ています。
9. 運が良かったこと
全部が実力だったとは思っていません。
- 派遣先が、たまたま管理職不足に困っている会社だった
- 2回目の転職のタイミングで、市場がコロナ明けの売り手市場に変わった
- 関数やGASが書けるだけで差がつく時期だった(いまなら生成AIがそれに当たると思います)
同じことをしても、同じ結果になるとは限りません。ただ、どの運も「目標から逆算して、次に必要なものを探していた」から拾えたものではありました。
10. やってきたことは4つだけ
- 目標を、数字と期限で決める
- 自分の現在地を、客観的に見る
- 仮説を立てて試す。外れたら方向を変える
- 新しい技術を学び続ける
あとひとつ加えるなら、できないことや知らないことにも、臆せず「やらせてください」「できます」と先に言い続けたことです。先に言うから、チャンスが回ってくる。回ってきてから、できるようになるまで学ぶ。結果が出るまで仮説と検証を繰り返す。その順番でした。
このブログで書くこと
23歳の自分に渡したかった地図を、ここに書いていきます。
劣等感を抱えたまま毎日を過ごしている20代の人。実力もやる気もあるのに、環境のせいでチャンスが回ってこない人。当時の私と同じ場所にいる人の、判断材料になれば嬉しいです。
書くのは2つ。どう稼ぐか(転職とキャリアの話)と、稼いだお金をどう使うか(買い物の話)。どちらも、論理で決めます。
※ 総務省「令和4年就業構造基本調査」より。30〜34歳の雇用者のうち年収1000万円以上は1.3%。
